2023年10月02日 公開

犬用の床ずれ防止エアマット『PETOA(ペトア)』を開発した株式会社ハイビックスの高井順子社長
介護における悩みの種の一つである「床ずれ」。寝たきりや車いす生活など長時間同じ体勢でいる際に、圧迫された部分の血流が悪くなって皮膚が傷ついてしまう症状です。重症化するほど治りにくくなるため、予防が大切だとされています。
そんな床ずれですが、実は人間だけの問題ではありません。以前と比べてペットの寿命が長くなった今、床ずれに苦しむ犬や悩みを抱える飼い主が増えているのです。

そこで、犬の床ずれを防止するために開発されたのが、犬用の床ずれ防止エアマット『PETOA(ペトア)』です。
手がけたのは、人間用の介護用品などを製造する株式会社ハイビックス(岐阜県)。
愛犬家である社長の高井順子さんが、「人間用床ずれ防止マットのノウハウを活かして床ずれに悩む犬や飼い主を助けたい」と、着想から約15年を経て完成させました。

『PETOA』の生みの親である高井さんに、『PETOA』開発の背景や製品の特徴、老犬介護への思いについて聞きました。
老犬介護の役に立ちたい。 『PETOA』開発の原動力
株式会社ハイビックスは、1945年に油紙を販売する会社として創業しました。時代の変化とともにビニール製品の浮き輪やプールなどの玩具を扱うようになり、さらに産業資材や医療介護用品なども展開。現在はおもに医療機器や介護用品を製造しています。
同社の持つフィルム溶着加工技術は、自動車のエアバッグや高速道路にあるETCバーなど、身近にあるさまざまな製品に活用されています。特に床ずれ防止マットは30年以上前から日本で製造し、現在ヨーロッパなどに輸出している主力商品です。

そんな株式会社ハイビックスが『PETOA』を開発することになったのは、高井さんのアイディアでした。
「愛犬は私にとってわが子同様、わが子以上の存在です。仕事で悩んだり疲れたりしていても、家に帰れば100%の純粋な愛情で迎えてくれる姿にすごく安心します。嫌なことも一瞬で吹き飛んでしまう心の癒しであり、支えですね」
そう語る高井さんと犬との出会いは、小学生のときに野良犬の子犬を拾ったのが始まりです。それから柴犬やチワワなど、5匹の愛犬と生活をともにし、現在もチワワと暮らしています。しかし2022年12月、もう1匹のチワワのモナちゃんを鼻腔腺癌で亡くすという悲しい出来事がありました。

「25年ほど前にも柴犬のジロくんを同じ鼻腔腺癌で亡くし、つらい思いをしたんです。そして2年前、モナちゃんの鼻が膨らんでいるのを見て『もしや』と思い受診して、中部地区の中核病院である岐阜大学動物病院を紹介してもらいました」
動物病院で放射線治療や抗がん剤治療などを受けたモナちゃんは、2、3か月で亡くなってもおかしくないような状況から、1年半も頑張って生きたそうです。「動物医療が人間並みに進歩しているのを強く感じましたね」と振り返ります。
動物医療の発展を目の当たりにし、同時に犬を人間と同じように家族として扱う意識が広がっていると感じた高井さんは、考えました。
「ワンちゃんは年をとっても赤ちゃんのような存在。言葉も話せないので『どこが痛い』とも言えない。だからこそなんとかしてあげたいと、老犬介護に取り組んでいる飼い主のみなさんは模索しているはず。そんな老犬介護で少しでもワンちゃんの苦しみを和らげ、飼い主さんの気持ちも楽にしてあげたい」
高井さんの犬への愛情と、同社が持つ床ずれ防止エアマットの技術が重なり、『PETOA』開発の原動力となったのです。
10年前は安楽死が多く“犬の床ずれ”の事例も需要もなかった
「犬にも床ずれができるのでは?」
高井さんがアイディアを思い付いたのは、2010年ごろのこと。長年製造してきたエアマットの技術を応用して自社製品を作れないかと考えたときに、思い浮かんだのは大好きな犬の存在でした。


「床ずれのおもな原因は、圧迫・ずれ・蒸れです。そのなかでも圧迫が大きな原因になっていて、圧を分散させることで床ずれを防止するのが床ずれ防止エアマットの原理です。しかし、ワンちゃんは人間とは体の形も異なりますし、血流や血圧のこともわかりません」
当時は重い病状の犬は安楽死させることが多く、寝たきりになって床ずれに苦しむような症例がほとんどないと相談に行った病院で言われたそうです。
「けんもほろろという感じで、まだそこまでのニーズはありませんでした。時期尚早だったんですね」
しかし、高井さんは「犬の床ずれ防止製品が必要とされる時代がいつか必ず来る」と考え、そのときに備えてアイディアを温め続けていました。それから数年後、岐阜大学動物病院は中部地区の中核高度動物医療施設として大きく変わりました。
「もしかしたら床ずれを研究している先生もいるかもしれない」
再び犬の床ずれについて話を持ちかけたところ、外科の川辺美史先生が「待ち望んでいました」と協力してくれることになり、製品開発が動き出します。
岐阜大学動物病院との共同研究は、床ずれを防止するためにどのような構造が必要かを模索するところからスタートしました。全身麻酔で眠らせた動物の体圧データを取得したり、試作品を使って犬の体格に応じた最適な空気圧を計算したりと、少しずつ形にしていきました。

「愛犬が傷のない体で旅立てた…」 『PETOA』に寄せられた感謝の声
『PETOA』を開発するなかで、高井さんはある1匹のドーベルマンと出会いました。病気による全身麻痺で体を動かせず、2年以上の長い間床ずれに苦しんでいたマックスくんです。
マックスくんの飼い主さんは、マックスくんのために体位交換や柔らかいマットレスの使用などのさまざまな対策を取っていました。しかし、なかなか床ずれは解消せず、エアマット研究開発の話を聞きつけて県外から訪れたのです。
床ずれの防止のためには、血液の流れを妨げない圧力を探ることが最も重要です。小型犬や大型犬などそれぞれに適した圧力を調べるためにマックスくんにも研究に協力してもらい、試作品のエアマットを提供しました。

エアマットを使用してから、マックスくんの床ずれの傷が目に見えて小さくなり、痛みで鳴くこともなくなるといった変化が表れました。
しばらくしてマックスくんは亡くなってしまいましたが、「傷のないきれいな体で旅立つことができた」と飼い主さんから感謝されたといい、「少しでも痛みを取り除いてあげられて、本当にうれしかったです。お金に代えられない喜びですよね」と高井さんは振り返ります。
2022年9月からは、Instagramでアンバサダーも募集。床ずれしている10匹ほどの犬に試してもらったところ、ほとんどのワンちゃんに床ずれの傷が緩和していきました。

「マットを使ったら楽になったようで顔つきが変わった」
「良く寝られるようになった」
「床ずれが改善された」
「床ずれが治り、きれいな状態で逝くことができた」など発売後も、たくさんの感謝の声が高井さんに寄せられました。
高井さんは「こちらこそありがたいです」と、かみしめるように話しました。
『PETOA』の売り上げの一部は、動物保護活動団体に寄付する予定だそうです。
「『PETOA』は決して安いものではありません。このエアマットを使ってもらえるワンちゃんは、とても幸せだと思います。その一方で、さまざまな理由で保護犬として過ごしているワンちゃんもたくさんいます。そんなワンちゃんのための活動を少しでも支援したいです」
圧力の分散で床ずれ防止。人間用エアマットを犬用に転換
犬が床ずれになりやすいのは、骨が出っ張って圧力がかかる肩甲骨や腰骨など。なるべく全体に同じ圧力がかかるようにすることで、床ずれの予防や改善が期待できるといわれています。

『PETOA』の特徴は、体圧分散性が優れている点。特殊なエアバッグの二重構造で体が床に付かないようになっており、圧力が一点に集中しないように広い面積で体を支える仕組みです。

床ずれ防止製品は他社製品にもさまざまな素材のものがありますが、圧力を管理できる製品は『PETOA』だけです。素材がへたってしまう普通のマットレスとは異なり、圧力を一定に保ったり調整したりできて、5年、10年と使い続けられます。同社が人間用のエアマットで培った技術と知識が、『PETOA』の強みです。
「圧力を適切に管理すると、痛みや寝苦しさから解放してあげられます。早い段階から『PETOA』を使用して悲惨な床ずれを予防することで、飼い主さんも安心してワンちゃんとの大切な時間を過ごせるはずです」
『PETOA』の開発には人間用のエアマットと同じ考え方を応用し、素材も基本的に同じものを使用しています。さらに、製品のサイズはケージの大きさを考慮したり、噛んでも安全なようにバイトカバーを付けたりと、人間用エアマットで培ったノウハウに犬用製品ならではの工夫を盛り込んで完成させました。


サイズは小型犬、中型犬、大型犬の3サイズ。カバーは、人間用と同じく伸縮性と体圧分散性に優れたウレタンタイプ、引っかきや汚れに強いシリコンタイプの2種類を用意しました。今後は第2弾、第3弾と『PETOA』をアップグレードする予定で、自動で圧力を調整するポンプや、付属品のクッションやガードなどの開発も考えているといいます。
『PETOA』という商品名には、「ペットと永遠(とわ)に寄り添う」という意味が込められているそうです。「長年私たちのそばに寄り添って喜びや励ましをくれた愛犬たちに、飼い主さんと安心して幸せな時間を過ごしてもらうことが、私の一番の願いです」
愛犬と飼い主さんの最期を、負担の少ない良いものに
現在『PETOA』を使っているのは、すでに床ずれができたワンちゃんが中心ですが、高井さんは「予防のために元気なうちから使ってほしい」といいます。
「元気に動ける若いワンちゃんも、エアマットを使うことで睡眠の質が上がり、QOLの改善にもつながります。私たちも試作品を枕にしてお昼寝したくなるくらい、とっても楽な寝心地なんですよ」
実は高井さんは、小型犬用のエアマットを椅子のクッションにしているのだそう。
「デスクワークの作業が楽になりました(笑)」
ペットを家族として大切にする家庭が増え、ペットの高齢化が進むなかで、老犬介護は今後ますますニーズが高まり、発展していくことが予想されます。
「人間の介護の知識や技術が、動物にも活かされてほしいと切実に思います。製品開発や情報交換などを通して、少しでもその懸け橋になりたいですね。まずは『PETOA』を広く知ってもらい、床ずれケアをはじめとした老犬介護が充実するきっかけになれば嬉しいです」

『PETOA』が包み込むのは、犬と人が最期までともに過ごす、穏やかで優しい時間。
「飼い主さんは、ワンちゃんと出会ってたくさんの喜びや癒しをもらい、幸せな時間を過ごしていると思います。わが子同然の愛犬との最期の時間を、少しでも痛みや苦しみ、負担のない良い時間にしてほしいですね」