2023年09月13日 更新 (2023年02月15日 公開)

犬の毛を手紡ぎして、製品化する「いぬのけテキスタイル」唐木さん
「昔飼っていたわんちゃんをもう一度撫でたい」「愛犬が子犬の頃の毛をとっておけば」
大切な愛犬のことをふと思い返したとき、愛犬が大きく成長した姿を見たとき、こんな気持ちになったことはありませんか?
しかし愛犬の手ざわりをいつまでも残しておくのはむずかしいもの。写真や動画で姿を見ることはできても、ぬくもりは感じられませんし、なかには抜け毛を保管する方もいますが、管理が大変でしょう。
そんななか「うちのこの手ざわりをいつまでも楽しみたい」という願いを実現させているのが『いぬのけテキスタイル』の唐木美帆さんです。唐木さんは飼い主さんから預かり、愛犬や愛猫の毛をブランケットやマフラーなどのテキスタイル製品に形を変えて提供しています。

驚くべきは、犬の毛100%から糸を紡ぎ、商品を作っていること。「わんちゃん一匹一匹の個性を引き出すことを一番大切にしています」そんな気持ちを込めて作られた商品には、まさに「うちのこ」の手ざわりとぬくもりが再現されているのです。

愛犬の「抜け毛」の思い出から始まった、“いぬのけテキスタイル化プロジェクト”
——『いぬのけテキスタイル』では、どのような商品を提供しているのですか?
唐木美帆さん(以下、唐木):わんちゃんや猫ちゃんの抜け毛100%でブランケットやマフラーなどのテキスタイル製品を作っています。飼い主さんには「収穫バッグ」という袋に抜け毛を集めていただき、私たちはお預かりした抜け毛を使って、完全オーダーメイドで作っています。糸から製品までの全ての工程が手仕事によって仕上げているのが最大の特徴です。

——今までにありそうでなかった発想ですね。そのアイデアが浮かんだきっかけは何だったのですか?
唐木:自宅のリビングで過ごしている時に、何気なくテレビを付けると、換毛期のわんちゃんがブラッシングされている映像が流れていました。
その時、昔飼っていた愛犬のことを思い出し「換毛期ってふわふわで綿毛のような毛がたくさん抜けるよね!」「抜け毛すら愛おしいよね」と家族で話していました。
飼っていたわんちゃんはもう亡くなってしまったのですが、手ざわりや色合いまでとても愛おしく思っていました。「抜け毛を手元に取っておいて、何か形として残しておけたら素敵だよね」と話しているうちに、ふわふわの綿毛のような抜け毛から糸を紡ぎ、ブランケットやマフラー等のテキスタイル製品に仕上げるアイデアを思いつきました。
——いろんな形が考えられるなかで、なぜテキスタイル製品だったのでしょう?
唐木:繊維関係の仕事をしていたので、繊維やアパレルの製造に関する知識や経験がありました。まるで綿毛のようなチロの抜け毛の質感を改めて想い出し、自分たちの経験をもとに自然と「糸を紡ぐ」という発想に至りました。
——これまでのお仕事の知識や経験があったからこそのアイデアだったのですね。
唐木:そうかもしれません。テキスタイル製品は、人々の日常生活にとって大変身近な存在だと思います。わんちゃんの抜け毛が日常生活に溶け込み、生活の延長線上に自然に存在するようなものを作りたいと考えました。

ブランケットやマフラーをお膝や椅子等にかけたりして、いつもわんちゃんがそばにいてくれているようなぬくもりを感じてもらえたらいいなという願いを込めています。
犬の毛100%の糸だから再現できる「うちのこ」の手ざわり
——何気ない会話から生まれたアイデアですが、商品化までどのくらい時間がかかったのですか?
唐木:2014年に取り組みを開始し、開発に2年以上かかりました。
はじめは様々なわんちゃんの毛を用いて、糸を紡ぐテストから。犬種や個々の毛質によって紡ぐ条件を変える必要がありますが、次第にダブルコートのわんちゃんであれば糸を紡げるようになりました。
それから、その紡いだ糸をブランケットやマフラーに仕上げる工程についても、様々な方法で試行錯誤しました。
——特にどんなことが大変でしたか?
唐木:大変なポイントはいくつもありましたが、一つあげるとすると、最初の段階の「抜け毛から糸を紡ぐ」ところですね。
私たちはわんちゃんの手ざわりを再現するために「犬の毛100%で作製する」ということをコンセプトにしていたため、そこに苦労しました。

——なぜ犬の毛100%だとむずかしいのでしょう?
唐木:一般的な毛糸の材料にはウール(羊毛)が使用されますが、ウール繊維は一本一本が細くしなやかで、縮れのある構造になっています。一方、犬の毛はほとんど縮れがなく、直線に近い繊維です。
また、犬種やわんちゃんの個体差によっては、繊維が太めだったり、硬めだったりする場合があります。そのため繊維同士が絡みにくく、強度と美しさを兼ね備えた糸を紡ぐことが困難なのです。
——なるほど、糸を紡ぐ方ならではの発見ですね。
唐木:さらに犬の毛の性質は犬種によって異なり、同じ犬種であってもわんちゃんによる個体差があります。繊維の太さや長さなど毎回変わってくるので、一つひとつの毛質に合わせて糸の撚り(より)やスピードを微調整する必要があるのです。
——そんなに大変なんですね。犬の毛100%を諦めるという選択肢はなかったのでしょうか?
唐木:はじめから、「犬の毛100%」という点にこだわりを持って開発を進めていましたので、諦めることは選択肢として考えていませんでした。
ウールを混ぜれば糸を紡ぐ難易度は下がるとは思いますが、私自身も「うちのこの毛100%」の製品が欲しかったんです。
※ただし、犬種や毛の状態によっては、ウールを混ぜなければ糸を紡ぐことが困難なケースもあります

——たしかに、愛犬と全く同じぬくもりを感じられるのは、飼い主にとってとても嬉しいですよね。
唐木:五感のなかでも、触覚って特に記憶と強い結びつきがあると思っているので、わんちゃんの毛に顔をうずめたり、撫でたりしたときに感じるあの「ふわふわ、もふもふ」した感じをそのまま再現したかったんです。そうしたら、いつまでもそばでぬくもりを感じられるかなと思いました。
——最終的には犬の毛100%で糸を紡ぐために、どのような方法に行きついたのでしょうか?
唐木:手動の「糸車」を使う方法で、強度と美しさを兼ね備えた糸を紡ぐことに成功しました。
犬の毛は繊細で、また前述の通りわんちゃんによって糸を紡ぐ条件が毎回異なりますので、大量生産を目的とした工業用の紡績機(糸を紡ぐ機械)で紡ぐことは不可能なんです。一方、手作業で紡ぐ糸車では、一つひとつの毛質に合わせて撚り(より)やスピードを調整ができます。
一匹分の糸を紡ぐのにかなりの時間を要しますが、わんちゃんの個性を引き出せる最適な方法だと考えています。

——「わんちゃんの個性」、素敵ですね。具体的にどのように商品にあらわれるのですか?
唐木:たとえば柴犬の毛は表面が毛羽立ってふわふわな手ざわりになることが多く、シェルティやロングコートのチワワ等は驚くほど滑らかでシルキーな風合いになることが多いです。
わんちゃんの毛質によっては、ちょっぴりチクチクした風合いに仕上がることもありますが、「この質感が、まさにうちのこの毛質だ」と感動して泣いてくださったお客様もいました。
わんちゃんの個性そのものを表現できるのも犬の毛100%だからできることだと思います。
「愛犬の個性」を最大限に引き出すための工夫
——わんちゃんの個性を引き出すために、他に工夫されていることはありますか?
唐木:作り手としての表現、クラフト感などは、意図的に抑制しています。
——作り手の表現、ですか?
唐木:はい。私たちが大事にしているのは「わんちゃんの個性や魅力」を最大限に引き立たせること。そのため、作り手としての表現や主張、「手作り感」といった要素を極力抑え、「均一な編み目で構成されるテキスタイル」となるよう心がけました。
——クラフト感を消すとなると、手編みだとむずかしいですよね。
唐木:そうですね。手編みだと、編み目がどうしても不均一になり、作り手によって個人差も出てしまいます。とはいえ、犬の毛100%で紡いだ糸は繊細で太さや撚りも全て微妙に異なっているため、量産用の工業用編機等で扱うことができません。
そこで私たちは今ではほとんど現存しない、昭和30〜40年代に製造された国産の工業用手動編機を選択しました。

——希少な機械を使っていらっしゃるのですね。
唐木:この機械を扱える職人さんも数えるほどなのですが、縁あってこの道50数年のプロの職人さんと一緒に仕事をさせていただけることになりました。パリコレや国内外の有名ブランドの製品を手がけてきた方なので、プロの職人が作った本物のクオリティ、と自負しています。
——すごいですね! 唐木さん自身も制作に携わっているのでしょうか?
唐木:はい。糸紡ぎの工程は私が中心となって実施しています。また繊維製造の仕事で培った知識と経験を活かし、その他の工程も責任を持って全般的に携わっています。
わんちゃんのエピソードや名前の由来とともにお写真をお送りいただけるお客様も多く、お顔や毛質をイメージしながら、心を込めて糸を紡いでいます。
可愛いわんちゃんの写真に囲まれての制作は、心の癒しにもなっています。

愛犬のぬくもりをいつまでも楽しめるテキスタイル製品。成長の記録としても人気
——『いぬのけテキスタイル』の商品はどんなものがありますか?
唐木:マフラーとブランケットのほかに、手のひらサイズの『いぬのけテキスタイル”mini”』や『いぬのけセーター』、犬の毛100%の糸をお届けする『SPINNING MEMORIES』があります。

——人気商品は何ですか?
唐木:やはりマフラーとブランケットのご注文を多くいただいています。
ちなみに、「マフラー」「ブランケット」はお客様にサイズや形状をイメージしていただきやすいように名付けたので、用途を限定しているわけではありません。
時折箱から出してぬくもりを感じていただいたり、インテリアの一部として飾っていただきながら手ざわりを楽しんでいただいたり、そういった使用シーンを想定しています。
——なんだか特別な気持ちになりますね。
唐木:ありがとうございます。「毎晩箱から取り出して、手ざわり、ぬくもりを楽しんでから眠りについている」「箱を開けた瞬間に感激のあまり号泣しました」というメッセージを送ってくださったお客様もいらっしゃいました。本当にやりがいを感じる瞬間です。

——お客様は飼っていたわんちゃんが既に亡くなってしまったという方も多いのでしょうか?
唐木: わんちゃんがすでに亡くなられ、抜け毛を大切に保管していらっしゃったお客様もいらっしゃいますし、パピーの頃から抜け毛を集め始めてくださる方も多くいらっしゃいます。
パピーの頃の毛、シニア期の毛……という風に、成長とともに変化していく毛質や色合いを形に残しておきたいという方も多くいらっしゃるようです。
——「成長を形に残す」素敵なアイデアですね。
唐木:そうした方々に向けて、テキスタイル製品以外のご提案として、「想い出を紡ぐ」という意味を込めた『SPINNING MEMORIES』というサービスを2021年より開始しました。
こちらはわんちゃんの毛で紡いだ糸をブック型の特製ケースに入れてお届けするサービスです。わんちゃんの写真を一緒にケースに入れて、飾ったり持ち運んだりできます。
紙製品の製造を手掛ける福永紙工さん、グラフィックデザイナーの小林一毅さんにご協力を仰ぎ、全くのゼロから創り上げました。

『SPINNING MEMORIES』では、どんな毛質のわんちゃんであっても、抜け毛100%で紡いだ糸をお届けすることができます。
愛犬の子犬の頃、成犬の頃、シニアの頃というように、成長とともに作製いただき、毛質や色合いの変化を感じていただくといった楽しみ方もあるかと思います。
——お客様は『SPINNING MEMORIES』をどのように使われていますか?
唐木:ケースのまま飾って糸の手ざわりや色合いを楽しんで頂いたり、少量の糸をお守りとして身につけていただいているようです。あとは、ご家族へのギフトにもご利用いただいています。お子さんが進学や就職で実家を出るときに、ギフトとして贈ると喜ばれるだろうなと、そんなことも想像しながら開発しました。
『いぬのけテキスタイル』が飼い主にもたらす「ブラッシング」の新しい価値
——『いぬのけテキスタイル』の商品は、飼い主さん一人ひとり、わんちゃん一匹一匹に思いを馳せて作られているんですね。商品を通して飼い主さんにどのような価値を提供していると思いますか?
唐木:ブラッシングをするのが楽しくなった、苦痛でなくなったという、とってもありがたいお声をいただくことは多いです。日々のブラッシングって、やっぱり少し大変ですよね。
犬種を検討される際に、毛の抜けやすさ、ブラッシングが大変かどうかという点を基準にされる方も多くいらっしゃるとお聞きします。そんななか「うちのこは、毛が多く抜けるダブルコートのわんちゃんで良かった」と言ってくださる方もいました。面倒だと思っていた作業が、少しでも楽しい時間に変わっていると思うと嬉しい限りです!
——ブラッシングが愛おしい時間に変わりますね。
唐木:そのような期待も込めて、飼い主さんに抜け毛を集めていただく袋を「収穫バッグ」と名付けています。
庭に実った果物を収穫するように、わんちゃんの抜け毛がマフラーやブランケットに姿をかえてかえってくることを楽しみにしながら、“いぬのけ”を収穫していただけたらと思います。

——わんちゃんが亡くなってしまった飼い主さんにはどのような変化があると感じていますか?
唐木:ペットロスによるつらい気持ちを、少しでも和らげることができるのではないか、と考えています。自分達自身も経験しましたが、大切なパートナーとの別れによる喪失感は相当なものだと思います。
以前、あるお客様に「すごい社会貢献ですね」とお褒めのお言葉をいただくことがありました。大変恐れ多く、私たち自身はそんなつもりはありませんでしたが、ペットロスに苦しむ方たちのもとに愛犬の手ざわりやぬくもりが形になって残るということは、それくらい意味深いものなのかなと考えるようになりました。
——制作をしていて、ご自身が昔飼っていたわんちゃんを思い出すこともありますか?
唐木:はい。落ち込んでいる時にちょこんと隣に座ってくれたりして、心の支えになるかけがえのない存在だったなと思い返します。
当時は抜け毛を形にして残すということは思いもしなかったのですが、こうして自分たちでマフラーやブランケット等の形として残すことができるようになった今、もう叶わぬ夢ですけど抜け毛をとっておけばよかったなと思うことがあります。

——最後に、飼い主さんたちへのメッセージをお願いします。
唐木:わんちゃんの毛は、手ざわりも色合いも個性があって本当に素晴らしい。私たちも、こうしてテキスタイルを制作しながら日々感動しています。
ぜひご機会があれば、“いぬのけ100%”で表現された、皆様のわんちゃんの手ざわりやぬくもりを体感していただければと思います。
現在、ありがたいことに非常に多くのご注文をいただいておりますが、全ての工程が手作業となるため、仕上がりまでお時間を頂戴しております。お客様一人ひとりに良いものをお届けすることに集中し、スタッフ一同制作にあたっているので、楽しみにお待ちいただけますと嬉しいです。
——ありがとうございます!