西郷隆盛は愛犬家!?銅像で犬を連れている理由や犬に関するエピソードなどを紹介!

西郷隆盛は愛犬家!?銅像で犬を連れている理由や犬に関するエピソードなどを紹介!

「西郷どん」の愛称で親しまれている、幕末の志士・西郷隆盛。近年、大河ドラマの主役にも取り上げられ話題にのぼることも多いです。東京・上野の上野恩賜公園(通称:上野公園)には、犬を連れた西郷隆盛像が建てられていることでも知られていますが、あの像で西郷隆盛はなぜ犬を連れているのでしょうか。その理由を知ると同時に、西郷隆盛の愛犬家としての一面も垣間見ることができます。ここでは、西郷隆盛の人生を振り返り、彼と犬にまつわるエピソードを取り上げながらその謎をひも解いてみたいと思います。

そもそも西郷隆盛ってどんな人?

西郷隆盛は1828年、現在の鹿児島県にあたる薩摩藩の下級武士の長男として生まれました。西郷が生きた時代は江戸幕府が250年続いていた幕末の世です。それまで長く続いていた幕府の力が弱くなり、海外からは大砲を載せた軍艦などがやってくるようになり幕府に開国を迫りました。

そんな世の中で多くの人が不安に陥る中、「新しい日本を作ろう!」と団結を促したのが、土佐出身の坂本竜馬でした。そして、そんな坂本と手を結んだのが、長州藩のリーダーだった木戸孝允と薩摩藩のリーダーである西郷隆盛だったのです(薩長同盟)。西郷隆盛は薩摩藩と長州藩の二大勢力を率いて、旧幕府軍を追い詰めたリーダーとして活躍。旧幕府軍の本拠地である江戸城を攻めたときは旧幕府軍側の勝海舟と話し合い、江戸城の無血開城を成功させ江戸の街を戦火から救うなどして西郷隆盛は活躍し、日本は明治維新へと向かいます。

明治時代になり、西郷隆盛は新政府でも参議として政治に参加しますが、征韓論など新政府の中で意見が対立。西郷隆盛は参議を辞任し、鹿児島に帰り陸軍士官など若者を育てるために私学校を創設します。その後、中央政府との隔たりが激しくなり、不満を持った西郷隆盛の部下たちに促され挙兵(西南戦争、1877年)しますが、政府軍側に追い詰められ1877年9月に49歳でその生涯を終えました。

長く続いた江戸の時代から、新しい世の中を作るため、軍隊を率いた英雄として、西郷隆盛の功績は現代まで語られ続けています。

なぜ西郷隆盛の像は上野にあるの?

東京都台東区にある上野公園には西郷隆盛の銅像が建てられています。薩摩出身の西郷隆盛の像が、なぜ東京の上野に建てられているのでしょうか。その理由は江戸幕府に攻め込んだエピソードが大きく関係します。西郷隆盛が江戸幕府(旧幕府)を追い込むために、新政府軍として攻め込んだ場所が上野だったのです(上野戦争、1868年)。彰義隊ら旧幕府軍側と薩摩・長州藩中心の新政府軍側の戦いで、徳川家のお寺である上野寛永寺(現在の上野公園)で行われ、西郷隆盛はその新政府軍を率い、勝利に導きました。

像はその功績をたたえるために建てられたもので、1898年に除幕式が行われました。ちなみに銅像はイタリア人画家のエドアルド・キヨッソーネの肖像画を基に高村光雲によって作られました。

なぜ西郷隆盛の像は浴衣を着ているの?

西郷隆盛の像を見ると浴衣を着ていますが、軍人であるのになぜでしょうか? あの像は、当初建てられる際は軍服姿の像を作るという案もあったようです。しかし、逆賊(逆徒)である西郷隆盛の像が軍服を着ているのはおかしいという意見が出たことから、浴衣姿となったと言われます。実際の西郷隆盛は礼儀正しく、どんな身分の相手であっても、正装で対応する人物だったと言われており、像を見た西郷隆盛の妻は、浴衣のような軽装な姿で人前に出る無礼な人ではなかった、と落胆したとも言われています。

上野公園の西郷隆盛像にいる犬の謎

西郷隆盛の像が上野にある理由はわかりましたが、一体なぜその横に犬がいるのでしょうか。その謎についてご紹介します。

西郷隆盛像の横にいる犬は?

西郷隆盛像は愛犬として「ツン」という名の薩摩犬を連れていました。しかし、実際のツンと像の犬とは違いがあります。像の犬は雄犬ですが、実際のツンはメス犬でした。この理由として像を作ったときには既にツンは亡くなっており、その代わりとして薩摩出身の軍人である仁礼影範が飼育していた「サワ」という犬がモデルになりました。そのため、当初モデルとなった犬が雄犬だったことから、像の犬が雄になっているのです。

ちなみに、純血の薩摩犬はほかの犬との交配が進み、1920年ごろに絶滅したと言われています。

犬と一緒にダイエット

に入り、倒幕運動など激しい生活から離れてしまった西郷隆盛は、すっかり運動不足になっていたのです。そのため西郷隆盛は、甘いもの好きな食生活も重なり、ドイツ人医師のホフマンから肥満の診断を受けてしまいます。そしてホフマンの指導により、運動するよう言われた西郷隆盛は、犬と一緒に山歩きを行いウサギ狩りをするようになり、このときに連れていたのがツンだと言われています。西郷隆盛はツンとともに山で狩猟を楽しみ、ダイエットに成功しました。

上野公園にある西郷隆盛の像はウサギ狩りへ出かける姿だと言われており、像の犬がツンだと言われるのはこのエピソードが関連しているのです。ちなみにメス犬のツンは、1990年に鹿児島県の東郷町にある菅原神社(藤川天神)に上野公園にある像とは違い単独の像が建てられています。

多頭飼育をしていた?愛犬家としての西郷隆盛

西郷隆盛は愛犬家としてのエピソードが多数あります。その一部をご紹介します。

西南戦争でも犬を連れて出陣

1877年、新政府に不満を持つ若者たちから促され、西郷隆盛はリーダーになり西南戦争をおこします。この西南戦争の際にも、西郷隆盛は犬と共に出陣しているという話が残っています。また、この戦争では徐々に敗戦の色合いが濃くなりますが、犬だけは助けたいと彼らの首輪をはずして逃してあげたと言われています。この犬たちは、西郷隆盛の死後に戦地で捕獲され、船で神戸まで運ばれたというのが当時の新聞で報じられています。

人間用の食事を犬に与えていた

明治維新の後に鹿児島に戻った西郷隆盛は、愛犬を何匹もつれていたというエピソードが残されています。名前がわかるだけでも13匹の犬が存在していたようで、東京にいたころも10匹以上の犬を飼っていたと言われています。

その愛犬家ぶりは犬に与える食事にも表れていました。西郷隆盛は店や宿に行くと、うなぎや鶏鍋などを食事として与えていたというほどです。西南戦争の食料事情が厳しいときでも、自分の食事を犬に与えていたと言われています。



まとめ:

幕末のヒーローとして勇ましく力強い印象のある西郷隆盛ですが、愛犬とのエピソードはほっこりさせられるものがあります。またこれらのエピソードは、現代の犬好きの人々の生活と通ずるものがあります。西郷隆盛にとって犬は、現代人と同じように、生活の中のパートナーであり、また癒しを与えてくれる存在だったのかもしれません。

出典元

西郷隆盛「中高生のための幕末・明治の日本の歴史事典」 (国立国会図書館 国際子ども図書館)

西郷隆盛(国立国会図書館)

NHK大河で再注目 西郷隆盛像はなぜ上野公園にあるのか?(日刊ゲンダイDIGITAL)

あの「西郷隆盛の肖像画」を想像だけで描いたイタリア人!キヨッソーネの功績(和樂web)

キヨッソーネの描いた西郷どん(お札と切手の博物館 独立行政法人国立印刷局)

高村光雲「西郷隆盛像」(テレビ東京「美の巨人達」)

あらためて大注目の西郷隆盛。しかし本当の顔は誰も知らない!?(MBS「教えてもらう前と後」)

「西郷どん」上野の像、なぜ軽装? 背景に政府の思惑(西日本新聞)

西郷どんは真の愛犬家だった|西郷隆盛像の隣にいる薩摩犬の知られざる素性(サライ.jp)

上野恩賜公園(デジタル歴史館)

霧島編4 西郷愛した薩摩犬 今は幻に(朝日新聞デジタル)

西郷隆盛の軍服を制作-宿陣跡資料館(夕刊デイリーWeb)

西郷どんの運命を変えた「危険なダイエット」(読売新聞オンライン)

愛犬ツンの故郷 鹿児島県 薩摩川内市 東郷町 藤川原集落(薩摩川内観光物産ガイド こころ)

藤川天神春祭と臥龍梅 薩摩犬ツンについて(鹿児島県神社庁)

狩りは趣味と実戦訓練だった西郷隆盛(BOOKウォッチ)

西郷隆盛が犬を飼ったワケ。「やばい」から日本史が見えてくる!(ダイヤモンドオンライン)

13匹の犬を飼った西郷隆盛 NHK大河にもついに犬が登場か(NEWSポストセブン)

西郷隆盛(鹿児島県観光サイト かごしまの旅)

「メタボの西郷隆盛」は、コレで28キロの減量に成功した(現代ビジネス)

愛犬にはウナギも与えていた 「西郷どん」の行き過ぎた犬好きエピソード(デイリー新潮)


※記事内に掲載されている写真と本文は関係ありません。

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わんクォール編集部

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カインズ・ペットメディア推進室のWanQol編集チームです。わんちゃんとオーナー...

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