2023年11月20日 公開

年間7,000頭以上の愛犬が宿泊する、伊豆の老舗旅館『伊豆長岡温泉 八の坊』
愛犬と一緒に旅の思い出をつくりたい。そう願う飼い主さんも多いのではないでしょうか?
その願いを存分に叶えてくれるのが、大正二年創業の宿『伊豆長岡温泉 八の坊』です。

この宿は「One to ワン(人から犬へのおもてなし)」というコンセプトを第一に据え、2021年7月に1stリニューアルしました。
「ワンちゃんが安心してくつろげ空間を」という想いから、ワンちゃんが粗相やいたずらをしても大丈夫なように、ソファや椅子テーブルの生地、壁紙、床材などを全面改装。ワンちゃんと添い寝できるベッドやワンちゃん専用の露天風呂、プライベートドッグランがある特別室が6部屋用意されています。
また、ロビーはリード移動もOK。まさに“ワンちゃんファースト”な宿に生まれ変わり、現在年間7,000頭ものワンちゃんをお出迎えしています。

「当館に宿泊して、『よりうちの子が好きになった』と言ってもらえることが私たちの目標です」
そう話してくれたのは、『伊豆長岡温泉 八の坊』の五代目専務の望月敬太さん。
動物好きの家で育ったという望月さんは、2022年に『八の坊』初代看板犬ミックス(チワワ×トイプードル)のモニョちゃんを看取ったのち、譲渡会で出会った保護犬2匹を家に迎え入れました。チワワの銀次くんとミックス犬のかずえさんです。

2匹は2代目看板犬として、今日も元気にロビーでお客さんたちをお出迎えしています。
100年以上もの歴史を紡いできた老舗旅館の『伊豆長岡温泉 八の坊』は、なぜ“ワンちゃんファーストの宿”に生まれ変わる決断をしたのでしょうか。
そこには、望月さんと従業員さんたちの、ワンちゃんへの並々ならぬ愛が隠されていました。
「愛犬連れのお客様の接客が一番楽しい」従業員の声で愛犬家向けに
いまは年間7,000頭ものワンちゃんをお迎えしている『伊豆長岡温泉 八の坊』ですが、リニューアル前は団体客が約7割。もともと愛犬同伴OKの宿ではあったものの、愛犬宿泊数は年間1,000〜1,500頭ほどでした。
そこで、五代目専務の望月さんは宿の経営について考えるうちに、仕事の『楽しさ』に迷いが出てきます。旅館の団体客向けの接客が、自分には向いていないのではないかと感じたからです。
「団体のお客様を対応させていただく場合、丁寧なおもてなしより、どうしても効率的な給仕のほうが優先になってしまいます。お客様ときちんとしたコミュニケーションをとる機会もあまり取れません。私はやはり伝統的な旅館らしい、一人ひとりのお客様に向き合える接客が好きだったので、正直このままの宿をつづけていくことに不安をおぼえていました」
そんなふうに感じていた矢先、新型コロナウイルスが流行します。団体客が一気にゼロになり、経営に更なる追い打ちをかけます。そんな中で起死回生の一手として、“ワンちゃんファーストの宿”へのリニューアルに踏み込んだのです。
「コロナ禍の最中はずっと赤字でかなり厳しい状況でした。しかし、それを機にスタッフたちと宿の今後についてじっくり話し合うことができたんです」
今後の宿の方針を話し合う会議の中で、望月さんは『みんなは仕事中、何をしているときが一番楽しい?』と問いかけました。すると、『愛犬連れの個人のお客様を接客しているときが一番楽しい』という答えが返ってきたのです。
望月さんは、その時スタッフからの本音を聞き、納得し、共感したと言います。
「リピーターさんの場合、基本的には毎回同じスタッフが担当させていただきます。そのため、特に人懐っこいワンちゃんは家族のように懐いてくれることもあるんです。もう可愛くて仕方がないんですよ。『朝食が出てくるまで扉の前であなたのこと待ってましたよ』なんて言われた日には、メロメロになっちゃいますよね(笑)」
もともとワンちゃん同伴OKだったため、スタッフもワンちゃんへの苦手意識やワンちゃんアレルギーのないメンバーを採用していたものの、年間7,000頭ものあらゆる犬種や性格のワンちゃんを出迎えていくなかで、スタッフの皆さんのワンちゃん好き度はますます増しているそうです。
旅行後に愛犬がより愛しく感じられる、快適な空間づくり
『伊豆長岡温泉 八の坊』の経営陣の中には「CIO(クリエイティブ・イヌベーション・オフィサー)」という役職のメンバーがいます。望月さんが思いついた“ワンちゃんファーストの宿”というアイデアを実現させるために、CIOと共に相談しながら進めてきました。
そんなCIOと共に決定した『伊豆長岡温泉 八の坊』の目標は「旅館を出るときに、飼い主さんが愛犬のことをより好きになるような体験を提供する」というもの。

飼い主さんもワンちゃんもくつろげるような空間を提供できれば、おのずと『伊豆長岡温泉 八の坊』を気に入り、リピーターになってくれるだろうと考えました。
「私自身も愛犬と旅行したことがあったのですが、粗相をしてしまうのではないかとか、興奮して眠れないんじゃないかとか、何かと心配事が多かったんです。そのうち人間の都合で旅行させるのはかわいそうなんじゃないかと思うようになってしまって。次第に旅行から足が遠のいてしまったんです」
たとえドッグランで楽しく遊べたとしても、お部屋の中でかわいそうな想いや不安な気持ちにさせてしまっては、飼い主さんも安心して眠ることができません。
「宿の役割として大切なのは、飼い主もワンちゃんも安心して眠れて、ゆったりとくつろげることです」
その想いから、お部屋だけでなくロビーや廊下も含めて、粗相やいたずらをしても大丈夫なようにリニューアルすることとなりました。
犬への理解を深めるため、保護犬支援やロビーでの譲渡会も開催
『伊豆長岡温泉 八の坊』の“ワンちゃんファーストの宿”というコンセプトは、設備の改装だけに止まりません。
ロビーでは定期的に保護犬の譲渡会が開催されており、『伊豆長岡温泉 八の坊』の収益の一部も静岡県東部で保護犬活動をしている『GO!保護犬GO』へ寄付しています。

「“ワンちゃんファースト”と打ち出すからには徹底的にやろうとCIOと話していました。そのため、自分たちもちゃんとワンちゃんについて理解する必要があると感じました。私は愛犬を飼った経験はありましたが、食事の管理や病気のこと、保護犬については知らないことだらけだったんです」
『GO!保護犬GO』のボランティアさんに詳しく話を聞きに行った望月さん。そこで知ったのは、保護犬活動の厳しい状況でした。
個人ボランティアで行う『GO!保護犬GO』は、今までに約600頭のワンちゃんを保護してきました。ワンちゃんの食事も自分で作り、必要な場合は病院へ連れて行きます。それらにかかる費用はすべて自分たちで賄っているのです。
「保護犬活動の経済的な厳しさについても教えてもらいました。もし『GO!保護犬GO』が活動をつづけられなくなってしまったら、そこにいるワンちゃんも路頭に迷うことになります。それであれば、微力ではあるものの絶対に私たちが支援すべきだと思ったんです」
保護犬譲渡会ではすでにマッチングが成立し、飼い主さんのもとへ迎えられたワンちゃんもたくさんいます。

実は『伊豆長岡温泉 八の坊』のロビーでお客さんを迎えてくれる看板犬の銀次くんとかずえさんも、この譲渡会を通じて望月さん夫婦が飼うことを決めたワンちゃんです。
「譲渡会で見た2匹が可愛くて仕方がなくて。家族会議をかなり重ねたうえで迎えることに決めました」

チワワの銀次くんはもともとペットショップにいましたが、肺炎にかかってしまい販売が難しいと判断されてしまった子でした。
一方、ミックスのかずえさんは多頭飼育崩壊のお家から保護された子です。ボランティアさんの話を聞くところ、ワンルームに約200頭いる状況だったようです。
そのため、迎えたばかりの頃のかずえさんは排泄するのを我慢する癖がありました。
飢えているワンちゃんたちが多くいる状況では、犬同士の共食いも考えられるのだとか。排泄中の隙を狙われる危険性もあるため、安心して排泄することもできない状況にあったのかもしれません。
「実際に支援をしたり、自分が保護犬を飼ってみることで、多くのことを学ばせていただいています。何をしてあげたらワンちゃんは幸せなのか、反対にどうされたら幸せじゃないのか、人間がもっと愛犬のことを知る必要があると感じています」

看板犬の存在が、働くスタッフの笑顔をもたらす
銀次くんとかずえさんは、宿が空いている日は基本的に『伊豆長岡温泉 八の坊』のロビーでお客さんたちを迎えています。
2匹が来る前の初代看板犬は、モニョちゃんというミックス犬でした。モニョちゃんは2022年に14歳で他界しています。

「2022年はリニューアル真っ最中で本当に忙しい時期でした。しかし、モニョが亡くなった日はたまたま全館休業日だったんです。スタッフみんなに見送られて、本当に最後まで宿のことを思い、看板犬を全うしてくれました」
モニョちゃんが亡くなってからの数ヶ月、「スタッフの皆さんの笑顔が減ってしまっていた」と望月さんは当時を振り返ります。
いつもフロントにいた看板犬のモニョちゃん。みんな、フロントに寄って、モニョちゃんにおやつをあげたり、仕事の合間に癒しをもらいに撫でたりしていました。
「明らかに、みんながフロントに入ってくる回数も減ったんです。行くとモニョがいないことを思い出して悲しくなるから、行かないようにしてるというスタッフもいました。私たちにとってモニョの存在はこんなに大きかったんだと思い知りましたね」
そんなスタッフたちの姿が、新しいワンちゃんを迎えるか悩んでいた望月さんの背中を押してくれたようです。
「銀次とかずえさんを迎えてから、スタッフのみんなも元気になりました。看板犬がいることで、職場のコミュニケーションが活性化したり、仕事をがんばろうと思えたりするものなんですよね」
職場にワンちゃんがいることの良さを改めて感じたという望月さんは、今後はスタッフが譲渡会からワンちゃんを迎えた場合は、「職場にワンちゃんを連れてきてOK」という制度をつくる予定なのだそうです。
“ワンちゃんファースト”の姿勢は、直接お客さんには見えない会社の風土や制度にまで浸透しているのです。
「イヌバウンド」文化で、愛犬と飼い主に優しい日本の旅行を広めたい
望月さんたちは、“ワンちゃんファースト”の次なる目標として「インバウンド」と「犬」を掛け合わせた「イヌバウンド」という言葉を掲げています。
「海外の方にも愛犬を連れて日本の旅行を楽しんでほしい」という想いが込められています。

特に望月さんが注目しているのはフランスからの観光客です。フランスでは生体販売の禁止が2024年1月から始まったり、ワンちゃんと一緒に乗れる飛行機などが充実している一方で、休暇前に飼育放棄が増えるといった問題が指摘されています。
日本国内に、ワンちゃん同伴可能な宿が充実していれば、長期休暇も愛犬と共に楽しんでもらえるのではないかと、考えているそうです。
「ワンちゃんが寿命を全うするまで、飼い主さんには共に生活を送ってほしいと思っていて、その中の息抜きとして旅行というものがあるのだと思っています。愛犬と一緒に宿を転々としながら日本の旅行を楽しめる。それが実現できれば、海外観光客に向けた日本の観光の強みにもなるのではないでしょうか」

「イヌバウンド」という言葉は、『伊豆長岡温泉 八の坊』だけではなく日本の新しい観光のあり方として根付かせていきたいとのこと。他の宿や航空会社など共感してくれるところと手を組み、施策を進めていく予定です。
望月さんの“ワンちゃんファースト”の想いは、『伊豆長岡温泉 八の坊』に限らず、日本国内、はたまた世界にまで向けられていました。
今後、「イヌバウンド」はどんな展開を見せるのか期待が膨らみます。『伊豆長岡八の坊』のコンセプトに共感する方は、ぜひ一度愛犬と共に宿を訪れてみてはいかがでしょうか。